2019年3月7日(木) ちょっと肌寒くなりました。
さあ、やっとDIY終わりまして、通常のブログに戻ります。
合同スクールでかずしママが紹介してもらった本、
関真士著 「家族に『神のかたち』を取り戻そう」地引網出版 ¥1600
の紹介です。
前半は良いと思った点、後半は疑問点を書きます。
この本は、地引網出版の月刊誌に連載されていたものらしく、
1章1章がコンパクトにまとめられていて読みやすい。
日本で牧師として働いた後、ハワイの日本人教会で現在まで牧師として働いておられるので、
日米の価値観の違いなども分かって面白い。
私は常々、「教会づくりは人づくり、教会成長は人の成長」と考えていますので、
組織論をうんぬんする本には一歩引いていますが、
これは教会の牧師先生がたにも、牧会のヒントとして読んでいただける本ではないかと思います。
半年に1回くらい読み返すと、牧師の仕事のヒントになるかなあ、と。
内容として一番同意したのは、子どもをひとりの人格、ひとりの人間として扱うことです。
これは私も心がけていたことで、「子どもだから」子ども扱いするのではなく、
ひとりの人間として、意見を聞き話し合う。
大人と接するように、自分の子どもとも接する。
まあ、できているかどうかはともかく、そうしようと思っています。
全体として、大人の方に強くお勧めする本です。
結婚していなくても、子どもがいなくても、人と接する時に必要な視点が上手に書かれていると思います。
まとまっているので細かくはありませんし、もう一冊加えるくらい書く内容はあると思いますので、「パート2」を期待します。
次は、意見が違う点です。
まず著者は、「神のかたち=人格」と言われていて、これが題名にもなっています。
(本の第2部1章)
でも、私の理解は、「神のかたち=キリスト」です。(コロサイ手紙1:15)
かたちにできない神が、自らかたちをとってくださった、それがキリスト。
そのキリストのかたちにそって人間が創造された、
だからキリストが花婿で、人間(教会)は花嫁。
そういう理解です。
だから、著者の「神のかたち=人格」という意見がまだ腑(ふ)に落ちません。
んー。どうなのかなあ。
人格を大切にすることには大きく同意します。
しかし、それが神のかたちだから、という理由は、どうなんでしょう?
まだ結論は出ません。
次に、著者はこう言っています。
「子どもは、『愛されるために存在し、愛するために生かされています。』
(もちろん子どもに限りません。すべての人間はそうです。)」 P31
どんな人にも愛が必要です。
「愛されている」という実感が人に平安と希望を与えます。
著者の意見のほとんどには大きく同意します。
しかし一点、「人は愛されるために存在している」のかどうか、この点は疑問が残ります。
韓国発の有名な賛美 「君は愛されるため生まれた」
が日本の教会でもブームになったころ、(2001、2年ごろ?)
私の教会でもよくこの賛美が歌われました。
すごい賛美だと思いました。
でも、ぽつぽつと、「あの賛美の歌詞、どうなんでしょうねえ。」
という意見を耳にするようになりました。
しかも、信仰歴の長いクリスチャンの方がそう言われるのです。
「聖書によれば、人間は愛されるために生まれたのではなく、
神(創造主)の栄光のために生まれ存在しているのだ。」
と。
現在の私の意見は、こうです。
「人間は神(創造主)に愛されている。
永遠の変わらない愛でどんな時も愛されている。
しかし、存在する目的は、愛されるためではなく、
神(創造主)の栄光のため、神を永遠に喜ぶためだ。」
最後です。
上記の2番目にも関係するのですが、
著者は夫婦関係や子育てに関して、色々な本を読んで勉強した、と書いてありました。
現在のそういった本は、心理学的な影響を多分に受けています。
著書からも、そういった心理学の影響を見ることが出来ます。
心理学にも良い点と悪い点がありますが、
心理学で最も悪影響の言葉は、
「あなたには、価値がある」
です。
これは、聖書に反します。
人間は罪によって無価値なものになりました。(ローマ3:12)
しかし、神(創造主)はこの無価値な人間、無価値な世界を愛しておられて、
イエス様を送ってくださったのです。
無価値なものを愛する愛が、神の愛です。
価値があるから愛する愛は、人間の愛です。条件付きの愛です。
よく引用されるイザヤ書43:4
「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」
は、罪びとの人間に向けられた言葉ではなく、
弱小国イスラエルに対して、大国エジプトやクシュよりも尊いんだよ、と語られている言葉です。
現代に当てはめると、イスラエルという国、またユダヤ人は、非難されたり嫌悪されたりすることが多いのですが、
それでも、神(創造主)の目には、イスラエルは高価で貴い存在であり、神に愛されている存在なんだ、
これがイザヤ43:4の適応です。
さらなる適応は、
日本のクリスチャン、教会は弱小で目にも留まらないくらい社会に相手にされていないけど、
神の目には高価で尊いのです。
イエス様が人間の身代わりになって十字架に死なれたのは、
人間に価値があるからではなく、
無価値な人間を愛してくださったからです。
人間を罪から救うには、神ご自身が身代わりに死ぬ以外に方法がないほど、
罪が重く悪いからです。
私は、そういう理解です。
心理学の特徴が分かると、
聖書と心理学の主張の違いが分かるようになってきます。
心理学の主張を聖書に「読み込む」ことが流行していますが、
これにはよくよく注意しなければなりません。
そう考えています。
ああ。ほめるより「チャチャ入れ」(口出しをする、の関西弁)のほうが長くなってしまいました。
悪い本ではありません。
いい本です。
読んでもらいたい本です。
そこは、重ねて言っておきます。
では、また。
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