「良きサマリヤ人」とムスメちゃん
書けるときに書いてしまおう、本日ふたつ目!
最近、毎晩ムスメちゃんと三男くんに
「聖書の本読んで~」とせがまれます。
二人のために、最近購入した聖書ものがたり絵本が
お気に入りの様子。
なかでも、ムスメちゃんの大のお気に入りは、
「良きサマリヤ人」のお話です
聖書を教える先生が、イエス様に
「聖書には、神を愛しなさい。
自分のとなりびとを愛しなさいと書いてあります。
では、わたしのとなりびとって誰ですか?」という
質問からはじまるこのお話。
強盗に、ユダヤ人が荷物を奪われ痛めつけられる
ページでは、
「あかんなあ~!勝手に持ってったらあかんなあ。
かしてってゆわんとあかんなあ」
始めにそばを通りかかった祭司が
「知らんよ~と知らんふりしていきました」
というところで、いつも、
うふふと不思議な笑いを浮かべています。
何回も何回も読むうちに、
私も色々考えさせられました。
このお話は、祭司やレビびとが
律法を守ることや聖書には通じているのに、
実際に困っている人に対する愛をもっていなかった
という印象を強く持っていました。でも、
「となりびと」って、やっぱり家族のように
自分にとても近しい存在を指す言葉だと思います。
この祭司やレビ人もまた、そこに倒れているのが
自分の家族であったなら
自分にとって大切な人であったなら。。。
きっと、
サマリヤ人と同じことをしたに違いないなあと
ふと思いました。
ということは、
「となりびとになる」ことは
律法や責任感や知識ではできないこと。
「家族のように思う」
良きサマリヤ人のように、
困っている人、助けを求めている人を
自分の家族のように愛して接する。
これは、本当に人間にはない愛だなあと思います。
イエスさまにつながっていないと
溢れてくることのない感情だと思います。
そんな愛をもてるひとになりたいな。
ムスメちゃんと読みながら、教わりました。
たくさん聖書をよんで、一緒に成長していきたいです。
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