国旗敬礼、国歌斉唱を拒んだ教師を処分するのは違憲ではないと東京高裁判決の記事より
2月3日(木) 小春日和と言うのでしょうか、暖かい。気持ちいい。
冗談は抜きにして、
またまた新聞記事からです。ごめんなさいね。
昨日2月2日(水)の朝日新聞・夕刊、
「終わりと始まり」コラム、池澤夏樹さんの記事より。
1月28日の東京高等裁判所は、
入学式や卒業式で教師が「日の丸に向かっての起立や、君が代の斉唱とピアノ伴奏をしなければ処分する」という東京都教育委員会の通達について、
これは違憲ではない、
「起立や斉唱の強制は憲法19条が保障する思想・良心の自由」を侵害しない、
との判決を出した。
それについて池澤さんは、
では歌いたくない者はどうすればいいのか?
より正確に言えば、歌わない自由もあるということを、教師はどうやって生徒に教えればいいのか?
国歌を歌わない者は非国民である、というドグマを東京高裁は本当に支持するのか?
と問いかけておられました。
何日か前、そんな記事があったなー、とぼんやりしていましたが、このコラムを読むと、事の重大さがやっと分かってきました。
私なりの表現で言えば、
戦前、戦中の全体主義(みんなが同じことをしなければだめ=天皇への忠誠)への逆戻り。
こういう表現が許されれば、「日本の北朝鮮化」でしょう。
金正日への忠誠が強制され、従わない者へは厳罰を下す。
私も、小さい組織で責任を持っているので、組織構成員全員が自分の言うとおり動くということの「快楽」の恐ろしさを身に沁みて感じています。
「あー、こうやって全体主義は形作られるのか。」と。
だから、反対意見、少数意見は、少数だからと言って握りつぶしてはいけない。
クリスチャンの方で、お金と時間と興味がある方は、
ジョン・M・Lヤング著「宣教師が観た 天皇制とキリスト教」川崎豊訳、燦葉出版社 1500円
共著「日本宣教と天皇制 21世紀ブックレット」いのちのことば社 1000円
に、こういった内容が出てきますので、読んでみてはいかがでしょうか。
(他にもあるでしょうが、私が持っている本は、この2冊だけ)
加えて言えば、ヤング宣教師の本によると、天皇制=全体主義への揺り戻しが一番最初に現れるのは、
公立学校だそうです。
クリスチャンの皆さん、目を覚ましていなければなりませんね。
日本が同じ道を通らないために。
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コメント
神の掟に従うことは、神に対する義務、自己に対する義務、隣人に対する義務の3つに分けられていると考えます。
その中での隣人に対する義務には、キリスト者としても、その属する地域、町、国の構成員たる市民としての義務が含まれると考えます。
今民主主義のこの棲む地にあって、普遍的な利他主義の領域であると位置づける為の“国”としての機能を恒久化する一環の中に、
国旗、国歌が位置づけられているとおもいます。
その教育者が、国=全体主義(?)という思想なのかはわかりませんが、国旗、国歌を否定するスタンスを取るのは私は間違っているとおもいます。
当然、歌わない自由も権利の中に伴われるものです。それは市民は、匿名的な大衆の一部としてではなく、個々人として自主独立の気概を持ちつつ、
自律的に活動する。とする自立性を確り教育することで成り立つものと観考します。
投稿: おれ | 2011年2月 4日 (金) 06時24分
おれさん、コメントありがとうございます。
例えば、会社に勤めているクリスチャンが、会社の新年行事「お祓い」に、信仰上の理由で参加しなかったとき、
会社は、それを罰するのか、個人の信仰を尊重してくれるのか、どちらなのか。
今回の件は、そういうものではないかと考えています。
もちろん、会社であれば、その社長なりの考えで、罰するも罰しないもどちらもありだと思いますが、
公の組織であれば、信仰や宗教については個人の意見が尊重され優先されなければならないと考えます。
また、会社員が会社の仕事を怠ければ、何らかの罰があることは当然だと思いますが、教師にとって入学式や卒業式とは1年間のわずかな時間ですし、国旗・国歌についての戦争を含めた特殊な事情を考えれば、今回の判決は行き過ぎているように感じました。
投稿: かずしパパ | 2011年2月 4日 (金) 10時04分
身勝手な宗教ですね!ノンクリがクリスマスを祝い賛美歌を歌ってますがクリ以外は歌うなとは言いません。
教会で賛美歌を歌わなくても誰も罰したりしませんし、君が代を皆で歌うのが全体主義なら賛美歌も全体主義じゃないんですか?
キリスト教国の現状を見てください、クリだから国歌を歌わないなんていう馬鹿げた事を云うクリはいないでしょう。
目覚めて悔い改めるべきはクリです。
投稿: 元モルモン | 2012年1月10日 (火) 21時19分
元モルモンさん、
色々な経験をされたことはお察ししますが、私が言いたいことを良くお分かりでないようです。
もし教会で賛美歌を歌わない人が罰せられるとしたら、どうでしょう?
ましてや、「国」という幅広い考えをもつ人々が住む中で、「国歌を歌わない」という少数意見が罰せられるとしたら、その国に少数意見を汲む広い心があると言えるのか?と言いたいのです。
これは、クリスチャンだけの課題や主張ではありません。
建設的な意見をお願いします。
投稿: かずしパパ | 2012年1月11日 (水) 15時12分
ご参照ください。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=164843
http://voiceofwind.jugem.jp/?month=201201
詳細はgooBlogに書こうと思います。リンクがあるので、そちらにも自分の意見を書いてあります。
投稿: 元モルモン | 2012年1月13日 (金) 19時38分
元モルモンさん、
紳士的な対応ありがとうございます。
問題意識を持つクリスチャンによって、教会もより良い方向へ改善されていくことでしょう。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: かずしパパ | 2012年1月14日 (土) 09時58分