おともだち
ブログを開くと、いつも主人のまめさに頭が下がります
三人の息子たちの母子手帳を見てもしかり。
ほとんど母親の記述は皆無で、
主人が、病気したことや
その月齢でできるようになったことなどを
どのページにもびっしりと書き込んでくれていて、
いやはや息子たちは、そんな父をもって
幸せものだなあと思います
さて、かずしは、ここのところ連日お友達と
公園でお花見です
卒園児のお花見会にいったあと、
春休みで手持無沙汰なもの同士、
公園で遊んだり、そのあとおうちで
二次会をしたりと楽しそうです
そんな姿を見ると、ホームスクール開始後も、
やはりお友達のために祈らなければと
思わされています。
お友達のいない環境での勉強について、
ずいぶん色々聞いたり考えさせられたりしましたが、
結論は、お友達は、異年齢であってもいいので、
同じ信仰をもって話しができるということが
一番大切だということです。
私もそうですが、学校では他の学年との行き来を
制限されるためか、
お友達は同い年が一番と考える傾向がありました。
けれども、社会に出てからなどは
意外と気心の知れる友達は
異年齢(それもかなり?)の場合が多いんですね。
同い年であっても、信仰の部分は蓋をしたり、
妥協したりしながらつきあわなくてはいけない場合が
多く、信仰を持てば持つほど、
長くつきあうことができません。
自分も小中学校のころの友達って、
ほとんど残っていませんが、
学生時代に与えられた信仰の友は生涯の友です。
ホームスクール間での交わりの場を考えることの
大切さと同時に、
かずしにそんな友が与えられるように祈らなければと
思わされています。
友を与えてくださるのも、神様ですから。
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